重なる思い。

2012/08/23
きょうは夕方、ピンキーと動物病院へ。

皮膚も耳もめったにトラブルのない我が家の子達なのですが、出産して抵抗力が落ちたのでしょうか、ピンキーの片耳の調子が悪くてノルバサンで耳洗浄をしばらくしていましたがあまり状態がよくならないので病院にとなりました。

特にこれといった原因があってではないとの診断で、病院では数日分の抗生物質と内服薬を処方してもらいノルバサンでの耳洗浄も引き続きするように言われ、来週また状態をみせに来院することに。
同時に子犬のワクチンとマイクロチップの予約もお願いしてきました。

病院に行ったときには待合室にはピンキーだけだったのですが、診察を終えて出ると待合室には待っている方が数名。
お会計を待ちながら椅子に腰をかけていると「落ち着いていて良い子ね~。何歳?」と隣に座っていたご年輩の女性がピンキーをほめてくださいました。

その方は14歳のご愛犬と来院されていて、年齢に見えないくらいとっても元気な子。
うちの子達もこんなふうに元気に年を重ねていってほしいなぁなんて思いながら、それぞれ愛犬の話を交えながらその方とお話ししていたんですがお会計に呼ばれたので挨拶をして席を立ちました。

お会計が済んで振り返ったところ、見覚えのあるお顔の子が。
2ヶ月くらい前でしょうか、待合室でお話しした飼い主さんとご愛犬でした。
その方が「以前一度お会いしましたよね」と声をかけてくれて、お顔を見て一瞬記憶をたどって合致しました。

わりと珍しい小型犬種を2頭連れた女性だったので、以前やはり待合室で順番を待っているときに「○○ですよね?珍しいですね(^^)」なんて私から声をかけて「犬種、よくわかりましたね!」というところから始まって、どちらかの診察の順番がくるまでその方とお話ししたのですが、その方が今日連れているのは1頭。
話を聞くと1ヶ月ほど前に片方の子を癌で亡くされたとのことでした。
この前会ったときはとても元気だったのに…。
まだ7歳くらいで東大病院に行ったりとして懸命な治療と看病をされたそうです。
でも悲しいことに亡くなってしまって、初めて迎えた愛犬だっただけにとても辛くて、残った1頭の子も亡くなってしまった子を探したりしてそんな姿を見るのもまた辛かったとおっしゃっていました。

お話ししていて飼い主さんが今にも泣きそうな顔をされたので私もとても胸が押しつぶされるような感じで目を見て話せなくなりそうでした。

私も初めてのオゥシーを癌で亡くしたことをお話しして「辛いですよね」とお互いに話しながら「またお会いできたらいいですね」と言って病院を後にしました。

帰りの車中、運転に集中しなければという気持ちに反していろんなことを考えながら家に向かいました。
なんだかルシードを亡くしたときの気持ちが重なってしまい。

ルシードを亡くした日、亡くなるまでの1年半の闘病を誰にも話さず隠してきたこともあり私は当時していたブログにその日までの病状を含めて亡くなった旨を書きました。(ケネルのホームページのルシードのページにその時のブログ記事は転載していますが)

ブログをアップした後、とある方から電話で「よくブログが冷静に書けましたね。私だったら自分の愛犬が死んだら暫くは書けない」と言われました。
今はおつき合いもない方ですが、たぶん率直に感じたから言われたんだと思います。
その言葉に私は漠然と「確かにそうだよなぁ。なんで私は冷静に文字にできたんだろう」と思い返事を返せませんでした。
普通だったらショックで悲しくて辛くて何をすることも、まして冷静に文字にすることもできないだろうなぁと。

このことをずっと自分の中で消化できないまま今日までいたのですが今日、答えが見つかったような気がします。
それは今日、話をしていてルシードの細かい話ができなかったこと。

けして月日がたって細かい記憶がなくなったからではなくて、ただ単にあの時の感情がよみがえってきて話ができなかったのと話をしたら自分も泣いてしまいそうになったからでした。
と同時に今、当時のことを書けと言われたら私は書けないことに気がつきました。

自己分析のようになりますが、きっとルシードが亡くなったときは、まだ自分自身も受け入れられないような誰かに話すことで気持ちを整理するようなところがあったのかもしれません。

病院で出会った飼い主さんの思いに自分のあの時の気持ちを重ねながらそんなことに気がついた帰り道でした。

なんだか独り言っぽいブログになってしまいすみません。

**********

今日は夜にダブルストップのオフィシャルカメラマン、ミンちゃんファミリーが子犬の写真を撮影に遊びに来てくれました(^^)
私とは違う視点で、きっと素敵な写真を撮ってくれたことと思います。
近日、アップします。



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comment (2) @ 日々の出来事
KENNELオフィシャルカメラマン。 | SUMMER BOY!

comment

私もそうでした : ALLEN.Mama @PSnYe7JY
『きっとルシードが亡くなったときは、まだ自分自身も受け入れられないような
 誰かに話すことで気持ちを整理するようなところがあったのかもしれません』

私も同じでしたよ。
ルディは耳血腫で通院している時に、私が耳の後ろに米粒大の肥満細胞腫を発見。
セカンドオピニオンまで受け、最小限の切除手術も上手くいきました。
でも病院に迎えに行った時から少し様子がおかしく、夜中に再度入院。
翌朝容体が急変して、病院に駆けつけてから2時間後くらいに亡くなりました。
エコーで心臓が止まるのを冷静に見ていた自分がそこに居ました。
犬仲間が弔問に来ても荼毘に付した後も、ルディの経過を淡々と皆に話していました。
某サイトにルディの回顧録を書いて欲しいと頼まれて原稿書いていた時も、
不思議と思い出や懐かしさは溢れてきても涙は流れませんでした。
漠然とルディの『死』を受け入れていたのでしょうが、理解出来ていなかったのでしょう。
人に話し文章に書く事で、少しずつ理解し受け止め実感していったのだと思います。
亡くなって1ヶ月くらい経ったある日、突然言い知れない喪失感・悲しさに襲われ、
泣き続けた日々が続いたのを覚えています。
7年経った今の方が、ルディの話をしていて涙を堪える事が多いかもしれません。
よく知る犬が亡くなった話を聞くたび、その飼い主さんの気持ちが当時の自分に重なります。

亡くなるまでの時間や経緯にもよるのでしょうけど、
決してその時に冷静沈着でいる(いられる)訳ではないと思います。
本当の悲しさや寂しさは、時間が経ってからの方が大きく辛いのかもしれませんよね。
2012/08/23 Thu 13:14:54 URL
>ALLEN.Mamaさん : gumi@doublestop kennel @-
ありがとうございます。
本当にそうですね・・。

当時、ブログに書いた自分に対して貰った言葉に‘自分はおかしいのかも’と悩みました。
途中から涙で書けなくなって急に切り上げ始めた文章にはなりましたが、淡々とそこまでは書けた文章に‘冷静に書けている自分はおかしいのかも’と。

ただ、時間の経過と共に実感する「現実の不在」は日を追って辛いものに変わっていったのは事実です。きっとそのときは受け入れているようで実は現実を受け入れられなかったんでしょうね。

生き物だから仕方ないとはいえ知っている子の訃報や悲しい話は毎回つらいですね。
もちろんその子の死も悲しいのは当然のことですがオーナーさんの気持ちを思うとやりきれない思いです。

2012/08/24 Fri 01:47:35 URL

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